私のバイパス
私の家のすぐ近くの急な坂道を五分ほど登ると大倉山公園に着く。やや東西に細長い
この公園を通って、しばらく坂を下ると大倉山駅に至るので、この道は、家と駅とを結
ぶ私のバイパスである。急ぎの用事さえなければ、私はこの公園の迂回路をよく通る。
微かな春の息吹、純白な浮雲を背にした深緑、晩秋の色の競演、葉を落した木々の造
形。四季の移ろいの中に、いつも新しい発見がある。通りすがりに、時に立ち止まって、
私はその発見に心を動かす。
公園の中央には、プレ・ヘレニック様式の白壁の大倉記念館がおごそかに建っている。
正面の石段を上り、建物の内部に初めて足を踏み入れたとき、太い柱の林立と、狭苦し
い空間の非功利性に驚いた。昭和七年建設のこの建物はいずれ解体し、現代的な建物に
建て替わる運命だろうと考えた。しかし、それは現代人の功利主義の見地からの偏見で
あることにまもなく気がついた。
繰り返し訪れるうちに、その非功利性こそ現在求められている心の安らぎであり、次
第に愛着を深めてきた。
入口右側の図書館の古びた重い戸を押し開け、中に入る。と、哲学、宗教、歴史など
の精神文化の叢書が整然と並んでいる。閲覧者の姿は何故か少なく、手にした本は皆新
刊のように真新しい。大切な掘り出し物でも見つけた気分だ。
今借りてきたばかりの本を、館前広場の緑陰のべンチに腰掛けて、周囲の自然に溶け
込む気分で、しばし読書に耽る。
俗化を免れた歴史ある建物と四季の変化に富んだ自然を残すこのバイパスは、壮年期
を過ぎた私の心のオアシスであり、人生の孤愁を感じさせる道である。
この春の退職時にいただいた餞別でカメラを購入した。被写体はこの心のオアシス。
この四季のたたずまいをしっかりカメラに収めたい。
平成十二年九月記