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ある古墳にて

 目指す古墳への登り口を探したが、近くに案内標識が見つからず、生憎、周囲に人影

もなかった。意を決して私たちは、それらしい細い山道を登り始める。

道案内が無い山道を歩くとき、不安と期待が複雑に交錯するものだが、この時はこん

な所に古墳があるのだろうか、と不安の方が強かった。

木漏れの陽光が少ない雨上がりの山道はひどくぬかるんで、まるで私たちの行く手を

阻むかのごとく、革靴の底に泥土がしつこくへばりついてきた。

しばらくして、左手に小高い丘が見え、そこを上るとちょっとした広場になっていた。

その一隅に真新しい案内板が立っている。近付くと、ここが古墳であると告げていて、

ほっと胸をなでおろす。

この長柄・桜山古墳(葉山町)は、古墳時代前期(四世紀前半)の前方後円墳で、平

成十一年六月に発見され、試掘孔から埴輪片などが多数発見されているという。残念な

がら試掘孔には入れず、現物は見れなかった。

こうして私たちが訪れたのは、逗子の老父母への見舞の帰り道、駅前で偶然手渡され

たパンフレットを見て、こんな近くにそんな古墳があるのかと驚き、一度行ってみよう

と急に思い立ったのである。足元に無数の古墳が埋もれているのだと想像すると自ずと

身が引き締まる。

ここはその昔、海に突き出た小半島の展望が利く丘で、この地方の支配者が海の航行

者に威を示す重要な場所だったという。だが、いまでは、四囲はうっそうと茂った樹木

で、案内板が無ければ、見落としてしまう平凡な丘である。

側に真新しい木製の展望台が設けられていて、上ると、緑の木立から海が垣間見え、

その青さが目に眩しい。思わず、妻に「お母さんも上ってごらんよ」と声をかける。

しばらくして、「お腹が空いた」という妻と近くの真新しい自然木のベンチに座って、

いつもより遅い昼飯をとることにした。

途中のコンビニで手に入れた幕の内弁当の包を開きながら、ふと、最近のあるニュー

スを思い出す。関西の某高層ビル建設予定地で遺跡が発見されたが、地元当局は予算不

足を理由に遺跡の買い取りを断念した。

この古墳も海側にもう一つの山道があって、その中腹まで、宅地開発の足音が迫って

いるから、ここも近い将来、宅地開発の波にさらされることだろう。

時の流れは、人の営みの跡をおしなべて滅していくものだ。ここを永遠(とわ)の安

住の地と定めた人たちは、こんな将来を想像出来ただろうか。私は弁当を口にほうばり

ながら,普段忘れている古代人にはるかに思いをはせたのだった。

                                               平成十二年十月記     

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