光と影
昼間の熱気が残るある日の夕方、逗子の老父母への見舞いの帰り道、久し振りで横浜
臨港パークへ足を運んだ。その日は花火大会の会場である。
見物に良い場所には、すでに持参のビニールマットがぎっしり敷き詰められて、開始
までの時間を、飲食や歓談で過ごす人達で占められている。私は少し離れた路石に腰掛
けた。
良く見ると若いアベックが多い。男達の茶髪や遊び人風の締りの無い服装からは、男
に欲しい自信や威厳をあまり感じられ無い。連れの娘達のゆかた姿も現代的な髪型や厚
化粧ともしっくりしない。最近の若者達の多くは恵まれすぎて、夢や感動が持てず、心
の空しさを、服装や化粧でカバーしているのではあるまいか。
定刻に花火が始まった。スターマイン(連続打ち上げ)の派手な光の造型と大きなけ
たたましい炸裂音が続いて、それらが消えた夜空は、周辺のビルの明かりを受けて薄明
るく、囲の人々の飲食や歓談でざわついていた。
私は大学の同級生と見たあの夏の夜の風物詩を思い出していた。
丸子橋の花火大会。眩しい程の光の大輪と肝に響く太い低音、そしてしばしの暗闇と
静寂。光と影が織り成す詩情に包まれた土手のハコベの群生の上に二人並んで腰を落と
して、我々は静かに、とぎれとぎれに、将来の夢や希望を語りあった。その人は、学校
の先生になると言っていた。遠い遠い青春時代の一こまである。
都市文明はひたすら光を追い求め、影や闇の部分を忘れさせようとしている。伝統の
花火さえ様変りさせている。ことの陰影を知って初めて判る深い感動を奪っている。
つらい過去を背負って生きてきた私達世代のぼやきだろうか。
若者達の新しい可能性を信じて静かに見守ることにしよう。