明神が岳
モーニング・コールの前に、ふと目が覚めた。置時計の針はすでに六時を回っている。
妻を起こさぬように、そっと床を抜け出し、厚手のカーテンを開いて窓から外をのぞく
と、まだ暗い。一月の夜明けはとても遅い。窓際のソファ―に座って、何するとも無く
ぼんやり外を眺めた。
私達夫婦は今、昨年まで勤めていた会社の箱根強羅保養所にきている。三十振りだ。
昔の事が、次々と脳裏に浮かんできた。二歳の長女が一緒で、翌日、ケーブルとロー
プウエイで、大湧谷の噴煙を眼下に見ながら芦ノ湖へ下り、遊覧船からの景観を楽しん
だ。
その頃は、子育て中心の生活で、毎日がただ慌ただしく過ぎ去った。その後生まれた
子供達も次々と巣立って行った。
今回は、自分達を見つめる、自分達の為の、夫婦水入らずの旅である。これからの人
生に必要な、確かなものを求める小さな旅である。ゆったりした時の流れの中にいる。
やがて、東の空が明るみ始め、それが次第に周囲の山々に広がってくる。正面の闇か
ら、緩やかな稜線を引いた箱根明神が岳の全容が現れる。
昔は、雑事に囚われていたのか、この山の記憶がおぼろである。年輪を重ねた最近は、
人間の生死を超えた自然の創造物に強く惹かれるようになっている。山により親しみを
感じる。山に登れば、一層親しみが増すだろう。
いつのまにか起きていた妻に
「今年の夏、あの山に登ろう」
と、ここから見ると容易に登れそうな明神が岳を指さすと、微笑でうなずいた。
妻とは、これからは、出来るだけ価値観を共有していこうと思う。
朝食後外へでる。山の冷気が心地よい。背中の荷は軽い。妻の足取りも、いつもより
軽快に感じられた。
平成十三年一月記