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     私の坐禅初体験記                                              

                                   

 座禅が始まるのは朝の六時半だ。その日、私は眠

い目をこすりながらいつもより早めに起床した。外

はすっかり明けていて、小鳥のさえずりが聞こえて

きた。寺は自宅から自転車で十分ばかりの距離にあ

る。台所から、朝食の支度をしている音が聞こえて

くる。私は「おはよう」と妻にいい、洗顔をすます

と、少し腹は空いてはいたが、冷蔵庫にある麦茶を

コップ一杯飲むと、家を出た。背後から、「気をつ

けてください」いう妻の声が聞こえてきた。

早朝の道路は車も人影もなく、錆びついて、一漕      ザゼンソウ

ぎごとに嫌な音がする愛用自転車を漕いで、目的地写真は北海道斜里町立知床博物館よりご提供

を目指す。さわやかな風が頬をなでてきて、気分爽快だ。在職中毎日の通勤に乗り回して

いたマイカーも定年退職とともに処分した。経費が負担になっていたばかりでなく、健康

増進のためにもその方が良いと考えたのだ。当初、不便を感じることもあったが、慣れる

となんでも無いもの。おかげで最近忘れがちだった、自然のなかで生きていることを痛感

させる、健康な毎日が送れている。

 

目指す禅寺、東光寺は鶴見川を介した橋の向こう側の繁華街の一角にある。定刻より十

分ばかり前に到着した。自転車を広い境内の一角に捨てると、歩いておもむろに寺の建物

に向かって進む。境内にはすでに座禅を待つ十人ほどの老若男女がたむろしていて、本堂

からは読経の合唱が聞こえてきた。生来好奇心が強い私のこと。恐る恐る入口の硝子サッ

シの隙間からそっと中を覗く。すると、中にいる一人に目敏く見つけられ、中に入るよう

に促され、中に入った。

そこは広い本堂で、正面に銅製らしい等身大の観音菩薩が安置され、寺独特の雰囲気が

充満している。本堂に向かって正座して読経をするのは、黒い袈裟をまとった老僧で、こ

の寺の住職らしい。その脇に十数人ほどの人たちがその老僧に向かって正座し、ブックレ

ットほどの小型の経本を手に合唱していた。

私は座の後方の空席に座布団と薄汚れた経本が与えられた。「朝のお勤め」にお前も参加

城と使用という意味らしい。渡された経本のページをめくると当然ながら漢字ばかりが並ん

でいる。意味はちんぷんかんぷんで、今、どのあたりを読んでいるのか分からない。

やっとそれらしい箇所を探し出し、周りの人達の読経に声を合わせていると、音楽的なリ

ズムがあって、不思議に心地よい。後日知ったことだが、住職を除くと全員、座禅会の人た

ちだった。座禅のある日曜日は毎回、早めにきて、自主的に寺の「朝のお勤め」に参加して

いるという。

まもなくして読経が終わると、「朝のお勤め」に参加していた人たちは、外で待機していた

人たちと共に、奥の階段から座禅室へ移動して行った。

初参加である私は、世話人らしい年配の人からその場に残るように命じられた。残された

のは私のほかにもう一人いた。二十五歳前後の青年で、やはり初参加らしい。私たちは、世

話人からしばらく座禅の基本(座禅室への入り方、座り方、正しい姿勢、手の組み方など)

を丁寧に教えていただくと、座禅室へと導かれた。

 そこは、鉄筋コンクリート建屋の、三階にある畳四十畳ほどの和室。すでに三十人ほどの

人たちがいて、思い思いに周囲の壁や窓側に向かって座禅中だった。物音一つ立ててはいけ

ない厳粛な静寂が辺りに漲っている。

私は、入口に近い世話人の隣に席を占めると、中障子に向かって丸い座布団を腰にあて、

先ほど教えてもらった座禅姿勢、結跏趺坐(けっかふざ)をとろうとした。しかし、石のよ

うに硬い私の身体はこの姿勢がうまくとれない。半跏趺座(はんかふざ)さえもままならぬ。

世話人は、そんな私をみかねたとみて、普通の正座でもよいと言ってくれたので助かった。

ここの座禅会では、足の故障などで座禅姿勢がとれない人たちもいるようで、それの人達に

対しては、正座や椅子に座る座禅も許可しているらしい。意外な寛大さ。それが私の緊張感

を少しほぐしてくれた。

 私は座布団に一部尻を乗せて、胡坐をかくような姿勢で座る。心を落ち着かせようと目を

閉じたが、頭の中は次々と雑念が駆け巡る。昨日の出来事、妻の小言、子供たちのこと、な

どなど。座禅の真髄は無心になることだと知ってはいたが、そんな境地にはほど遠い。

 

 私たちが本堂で座禅指導を受けている間に、すでに今日の座禅の前半部が終わりかけて

いたらしく、しばらくすると、全員が立ち上がり、両手を胸において、大きな人の輪を作り、

部屋の淵をゆっくり歩きはじめた。経行(きんひん)と呼ばれる歩く禅で、これも禅の一つ

だとか。座禅で痺れた足をほぐす意味もあるらしい。禅宗では、掃除も食事の支度も、トイ

レ掃除も、すべてが「座禅」だと聞いていた。

経行中も脇見は厳禁。私は、どんな人がいるのかと好奇心が働き、首を曲げずに、目だけ

を動かして参禅者たちを観察する。

その日の参禅者は三十五人ほど。平均年齢は六十五歳くらいか。若い人もいる。夫婦らし

いカップルもいる。女性は六人ほど。二十歳代の独身と思われる女性もいる。だが、ぎらぎ

らした人は一人もいない。みんな温厚そうな表情を浮かべている。服装はトレーニングウエ

アーなど軽装な人達ばかり。

三分ほどかけて部屋をゆっくり一周する。と、私たちは元の席に戻り、再び座禅を続ける

ことになった。

 まもなく世話役から、ブックレットが一人一人の手元に配られた。表紙をみると「参禅の

しおり」と書いてある。中を開くと、中身はまたもや漢文。座禅姿勢のまま、若い住職の発

声で全員声を合わせて読み上げる。毎回のことらしく、長い文章だが、ブックレットには目

を通さず、暗誦している人さえいる。内容はよく分からないが、独特のリズムが心地好い。

その中で「非思量。此れすなわち座禅の要術なり」、という言葉が妙に私の脳裏にやきついた。

後で調べると、これは洞宗の開祖、道元禅師が著した『普勧座禅儀』で、座禅のやり方及び

目的を書いたものだと知った。

 

私が六十二歳の定年を迎えたのはその二か月前だった。私は始めたばかりの夕方の散歩中、

東横線綱島駅に近い寺の入り口で、「座禅会」「会費は無料初心者歓迎」という看板が目にと

まった。毎週日曜日の午前六時半から始まるという。瞬間、(これだ)、と心に響くものがあ

って、(一度、参加してみよう)と思い立った。ようやく梅雨も明けた頃だった。              

 その一年ほど前から、間もなく定年を迎える私は、「第二の人生をどう生きるべきか」、

「やがてくる死をどう受容しようか」という人生の命題を真面目に考えはじめていた。その

一環として、今まで全く関心がなかった仏教関係の本を何冊か入手して精読していたし、ま

た、自宅から電車で四十分ほど距離にある、駒沢大学が主催する春秋二回の仏教公開講座に

も参加していた。

後で知ったことだが、この部屋はもともと座禅用ではなかったらしい。昔、近くを流れる

鶴見川が大氾濫したことがあった。その際、付近一帯が洪水に見舞われたという。その苦々

しい経験を教訓に、再度の川の氾濫に備えて、付近の住民たちのために避難用として造った

ものだという。本来の座禅室はその隣にある。そこは十二畳ほどで、部屋の中央に通路があ

り、その左右と奥に奥行き一メートルほどのコの字型をした一段高くなって部分があって、

そこに畳が敷かれている。壁に向かって座禅するのである。座禅室らしい重々しい雰囲気に

満ちている。座禅会発足当初は、人数も少なく、そこを使っていたそうだが、参禅者の増加

に伴って、収容しきれなくなり、隣の広い「避難用」部屋も使うようになったという。

十人ほどが座禅できる本来の座禅室は、今でも、住職や古参者たちの座禅場である。

 道元禅師は、鎌倉時代の僧侶の一人。それまでの日本の仏教の教義に疑問を抱き、本来の

仏法を求めて中国(当時の栄)に渡り、如浄禅師から曹洞禅を学び、帰国後、永平寺などを

中心に日本で曹洞宗を発展させた人である。渡栄すると、通常持ち帰る経や仏像は一切持ち

帰らかったと言う。「只管打座」(しかんたざ。余念を交えず、ひたすら座禅をする意味)の

体験を通じて、世の中の無常を知り、煩悩(欲望)の空しさに気付き、心の安心、すなわち

悟りを目指すという。座禅すること自体が一種の悟りだと教えている。すると、座禅中は何

も考えてはいけないことになる。目は閉じず、開けず、半眼にして、無念無想の境地にな

れということだ。そんな心境になれるのはいつのことやら……。

     

『普勧座禅儀』の音読が終わると、次は住職が、座禅者全員の肩に順番に警策を授ける時間

である。警策とは、座禅中、眠気や惰気、それに座禅姿勢の悪さを戒めるために肩を打つた

めの、長さ四尺、偏平な棒状の板である。座禅者全員の肩に順番に警策を授けていく。

そのたびに打音が室内の静寂を破り、大きく響く。

まもなく、緊張気味に待機していた私の右肩にも警策を受けた。しかし、想像していた痛

みはない。心地好い鈍痛が肩にのこった。私より年配の近くの女性の場合は、打音が小さく

聞こえたので、どうやら相手によって手加減しているようだ。

 腕時計をちらりと覗くと、残り時間は二十分弱。ここで心を落着け、無念無想になろうと

試みる。が、無心になるということは案外むずかしいものだ。

寺の広い境内には樹木が多く、小鳥たちの楽園である。座禅中、耳に届いてくるのはそれ

ら小鳥たちの朝のさえずりばかり。小鳥たちが毎朝、こんなにも元気はつらつと、声高らか

にさえずっていたとは今まで気づかなかった。

 足のしびれが次第にきつくなる。自分の足でないようだ。我慢も限界と感じたとき、遠く

から太鼓とそれに続く銅鑼の音が聞こえて来た。座禅が終了する合図である。合計一時間の

座禅だった。だが、ホッとして、立ち上がろうとしたが、足がしびれて立ち上がれない。仕

方なく、その場に座り込み、しばらく足のしびれが治るのを待った。先輩たちはいずれも何

ごともない様子で立ち上がって移動を始めている。これも修行の差だろうか。

 その後は、その部屋に皆で座卓を並べ、正座して、お粥をいただくことになった。

座禅の後でする食事の準備を担当するのは、新人でなく、古参者たちの役目だそうだ。後で

知ったことだが、古参者の中には、毎回、自主的にトイレ掃除をしている人もいるという。

この間も一切の雑談は禁止。普段、無口な私には何の不都合もないが、中には長い沈黙に耐

えられぬ人もいるようで、思わず、隣の人と小声で雑談をはじめると、すかさず若い住職か

ら、

「静かにして下さい」                                                               

と厳しい注意の言葉がとんできた。

 丼にもられたお粥には梅干し一個と沢庵二切れが添えられている。いただく前に再びパン

フレットが配られ、そのなかに書かれている『五観之偈』の項を全員で合唱する。

「一つには、功の多少を計り、彼の来処を量る。二つには、己の徳行の全欠を付って、供に

応ず。三つには、心を防ぎ、過を離るることは、貧等を宗とす。四つには、まさに良薬を事

とするは、形枯を療ぜんがためなり。五つには、成道のための故に今此の食を受く」

 後で調べると、「我々がいただく食には、自然の恵みをはじめ、多くの人々の労が費やさ

れていることを忘れてはならない。今日の自分にそれだけの資格があるかよく考えなさい。

嫌いなものでも有難く頂かなくてはならない」

といつた意味らしい。飽食の現代、我々の耳にひどく痛い。「いただきます」の声と共に、

「しゅるしゅる」という粥を啜る音が辺りに響く。久し振りのお粥はとても美味しい。

食事後、東堂さん(前住職)から三十分ほどの法話を聞く。宗教関係の質問に一つ一つ丁寧

に答えてくれる。深い無常観に基づいた法話は、心の乾きがちな我々現代人に響く。社会的な

関心も深く、法話の中に適宜、現代の社会現象に対する風刺も織り交ぜてくる。

本日の座禅会はこれで全部終了である。

 

 この座禅会を主催する東堂さんは、昭和二年生れ。駒沢大学の仏教学部を卒業後、約二十

五年間、地元の中学の社会科の先生をしておられたらしい。

 五十歳の時、教員生活に別れを告げ、以来二十五年あまり、自宅であるこの寺の経営に専

念しておられる。温厚そうな人柄と慈悲深そうな容貌はいかにも僧侶らしい。今では息子に

住職を譲っている。座禅会が無い場合でも毎朝本堂で一人座禅をしているという。

 いただいたパンフレットによると、ここの日曜座禅会は昭和五十二年に八月発足し、平成

十五年八月迄二十六年間ほとんど休む事なく続き、参禅者は延三万三千余名を数えているら

しい。参禅回数が九百回を越す人もいるという。

 

 帰路で一緒になった七十代の男性は、横浜線の長津田から五年間、一日も休まず参禅して

いるという。冬季は、辺りも真っ暗な四時半に起床し、電車だけでも四十分以上もかかるら

しい。

「座禅の功徳は何ですか」

と聞くと、

「ここにこうして継続して長く来られること自体が座禅のお陰です」

と穏やかにいう。四国巡業も五回を数え、「また是非、行きたい」とおっしゃっていた。

その人と別れて一人になると、何かさわやかなものが心にわいてきた。悟りにはほど遠い

が……。

 座禅というと一般に宗教色が強く、厳しい修行のように感じるが、ここの座禅会はそんな

堅苦しさは全くない。仏法には馴染めないが、心身の調整を目的に参禅している人も多いと

聞く。ここは無宗教な人でも自由な雰囲気の中で座禅を体験できる。

 以後、私は寒くて風の強い冬季でも、身体の調子が悪くなければ、毎回参禅している。

お陰で、半跏趺座も何とかできるようになっている。

 私は今でも特定な宗派への信仰心はないが、座禅は、普段、雑多な欲望に流されがちな私

にとって、ふと立ち止まって、自分を、人生の無常を静かに見詰め、残された人生の生き方

を教えてもらう貴重な時間である。            

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